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【2025/05/16 19:42 】 |
死刑制度について
 今回、刑務官採用試験にあたって、死刑について考えさせられました。

僕が受験した札幌の拘置所でも死刑が行われます。

死刑って何とも血なまぐさく、僕がもし刑務官になっても実行できそうにないし、見たくありません。

刑務所見学なんてあまりできないし、今回刑務所に入ったのは初めてでした。

収容者が通り過ぎる機会がありましたが、刑務官の指示で壁にかおお向けて立つように配慮されましたが。

収容者のプライバシーであるだろうし、当然と思いました。死刑囚ではないでしょうが・

今現状死刑をやむを得ないというのは、国民の7割にあたるそうで、消極的な肯定派が多数を占めているそう。

死刑制度を取る国は先進国では、少数派だそうです。

刑務所見学と刑場見学が実際に多数の人に行われると、死刑廃止論はかなり高まりそうだというのが、実際に刑務所の中に入ってみて、思ったことです。

自分自身には関係ないし、人間悪い奴はどうしようもない。

被害者の意識を考慮して。

そう考えるのは、仕方ないと思うけれども、世の中には、不幸な人生い立ちをする人はたくさんいるし、

ただそれで凶悪犯罪に手を染めるのは、違うと思うし。

オウムの松本死刑囚なんか、どうしようもないであろうけれども。

秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚とか、実は、ぼくのような、はずれものには、何かを代弁し、いけにえになっていったような気が少しだけします。

家電量販店で販売をしていた下層の人間には、どうしようもないなにかを感じますけど。

実際に罪のない人を無差別で殺すわけですから、凶悪であるけれども、名門大学に在学して、家電量販店で

バイトしていたりする学生は、ぼくとは全く別世界の人間であることが、家電量販店販売だった僕には、わか

るし、むしろイラク戦争なんかで死んでいった一般の市民や、パレスチナの人々やニューヨークセンタービルに突撃した人のほうが、自分には近いんじゃないかって思うのはたしかです。

死刑制度はあっても、永山基準ではなく、厳罰化ではなくといいたいし、とりあえず終身刑を導入して、一生刑務所で労働して罪を償ってもらいたいと思ってしまうものです。
それに、天皇陛下に反省の度合いに応じて、死刑から恩赦で減刑をお願いしたいところですが。天皇陛下もお忙しであろうし、皇室の祝い事のたびに、検討するのは無理なことかもしれません。
 ただ死刑囚は刑務所を出たって、社会復帰なんてできないでしょうし、やはり死んだほうが幸せであるようなきもします。
死んだほうが幸せなこともあり得るけど、生きながらえたほうがつらい死刑囚もいるはずなのは確かだと思います。
 古代ギリシャでは、死刑を利用して楽器にしていたそうで。
金属製の牛に死刑囚を入れ密閉します。牛の口には、管楽器トロンボーンのようなものを装着中の囚人の空気穴でそこから息をすると、音が出る仕組みになっていて、その金属の牛を加熱して、空気が加熱されて、呼吸ができなくなるので、トロンボーンの口で息をして、牛が叫んでいるようにする書くだけで残酷な死刑執行があったそうで。 考えただけで気が狂いそうなものがあって。

 死刑は反対ではないけれども、厳罰化と執行までの期間には十分考慮が必要であるような気がします。
 


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【2011/10/16 18:47 】 | 死刑制度 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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